iPhoneは4で動物から人間になった?

Macテクノロジー研究所の松田氏と元MacLifeの高木氏の対談記事で、ものすごく腑に落ちたことが書いてあった。

「ジョブズ伝説」著者、高木利弘氏独占インタビュー(前編)

それは、ジョブズがなぜハードウェアとソフトウェアの統合を目指していたのか、というところで、ジョブスは製品を生き物として捉えようとしていたから、というもの。

詳しい話は、
元記事を見ていただいた方が良いのだけど、自分としては、この解釈で、色々と合点がいった。

そのうちの一つは、それまで否定していたiPhoneケースを、なぜiPhone 4になって肯定し始めたか、ということ。(正確には、iPadからだとおもうが)

Appleは、iPhone 4になってケースがデフォルトと考えているのではないか、ということは以前書いたのだけど、自分の考えは、そこからあまり変わっていない。
ただそのときは、Apple側の動機を妥協的、あるいはバランスの上での決断と思っていたのだけど、この対談記事を読んで、もっと前向きだったのかもしれない、と思い始めた。

生きているものの中でも、人間以外の動物は服を着てはいないが、服がなくても皮膚や毛皮など、完成された、意味のある外観をしている。
iPhone 3GSまでは、iPhoneもこういう完成された動物として考えられていたとしたら、iPhoneケースは、まるで愛玩のために犬に服を着せる行為のようで、ちょっとどうか、と考えるのも無理はない。

しかし、人々がiPhoneにケースを付けてしまう状態が続いたあと、その意味を考えると、人々はiPhoneを動物ではなく、服を着る生き物、つまり人間のように捉え始めているのではないか。

ジョブス自身はタートルネックしか着なかったが、服そのものを否定しなかったみたい。であれば、人間の服的に、より積極的にiPhoneケースを取り入れるようになった、というのはありそうな気がする。

そう考えると、Siriが人語を理解し、人語で答えることとも整合してくる。

Siriは、単なる目新しい機能というよりも、人間と製品の間の関係をより近づけるため、人間と動物の関係から、人間と人間との関係に変えるものという点で、重要だと考えられる。

Siriの日本語対応が早期になされると聞いたときに、意外な感じがしたが、SiriがiPhoneを人化するためのものと理解すれば、いち早く対応するのは当然なのであろう。(手書きには対応していないのに!)

さらに、次期Apple TVがBluetoothをサポートという情報も、見た時は今さら?と思ったが、これもSiriに命令を伝えるためと考えれば、納得がいく。
マイク内蔵のBluetoothデバイスが付属していて、Siriを通じて音声でやりとりする、ということなのかもしれない。確かに、「フジテレビ」とか、「再生」とか、「昨日の写真」とかをテレビに命令する時代はすぐそこまできていそうだ。